は落ちついた、親切な、節度ある国民だのに、一旦周囲が騒然とし、安全が脅かされるとなると、まつたく態度が違つてしまふ。非常に度を失ふ。無我夢中になる。責任のあるものは別だが、さうでないとわれ勝ちに安全を求める。粗暴にさへなる。これは不思議な現象だ。われわれの場合はまつたく逆なやうに思ふ。平生は日本人よりもずつとがさがさし、善行に無頓着であり、時には興奮し易い。しかし、なにか事があると、すぐに、狼狽してはならぬと思ふ。あたりの人のことを考へる。悲壮な善行慾が頭をもたげる。まあ、さういふ風な傾向がある。これはどういふわけだらう?
 すべてがすべてさうではあるまいが、たしかに、さう云はれてみると思ひ当るところがないではない。
 私が思ふに、日本人は、道徳的に利己主義者だといふわけでもなくて、たゞ、「赤の他人」といふ言葉の含む、何の某ならざる人物に対する無意識の疎隔感情が、いかなる場合にも自分を周囲から孤立させてしまふのである。
 日本人の多くは酒の上でなければ腹を割らぬと云はれ、娼婦立合の下にでなければ、裸になれぬ、また裸になつたとみせられぬやうな警戒気分をもち合ひ、友達になつても、友達になつ
前へ 次へ
全29ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング