責任があるか、それはちよつとわからぬ。人にご馳走をするといふことがあんまり多すぎる現代都会式儀礼の罪ももちろんあるだらう。
しかし、これは、思ひ切つて社交の精神と形式を一変し、従つて、家庭に於る主婦の仕事を合理化し、女性の社会生活者としての教育をやり直し、人をよぶことの嫌ひな細君や、家庭をのぞかれるのを卑下する亭主が、最も不幸な男女であることを、社会の一般認識とする新生活運動が開始されなければならぬ。たゞ、恐らく、三十年は続けなければほんとうに実績のあがらぬ運動であることを覚悟してかゝるべきである。
そんなに苦労して、それだけの結果を得たら、ぜんたい国民としてどれだけの得があるかと反問する中老紳士の顔がありありと見える。
では、市民としての健全な社交生活がいかに国民として非常の時に役立つかを説明しよう。
日本人は元来、面識のあるものには大変丁寧であるが、見ず知らずの他人に対しては、無礼を案外平気で働く国民である。汽車に乗つたり、宿屋に泊つたりするとそれがよくわかる。また、震災当時東京にゐた某独逸人の観察によれば、日本人は平生と危急時と、どうしてあんなに変つてしまふのだらう。平生
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