な市民の上に及ぼす影響力はそれこそ知れたものである。
 それよりも、やはり私は、待合とか遊廓とかいふものを一掃したい。特に、それらのものゝ在り方を現在のまゝ続けさせるといふことは、日本の都市の性格をいつまでも封建的なものから脱せしめないことになる。悪所通ひを風流とし、社交の具とするある種の観念を、われわれの頭から、即刻排除しなければならぬ。これは道徳上の問題ではなくて、まつたく趣味上の問題なのである。しかも、それがどんなに悪趣味であるかといふことすら、われわれ自身の意識の上では感じられなくなつてゐるのである。
 そこで、お互の社交の形式について、考へなければならぬ問題が提出される。
 都会人、特に男性間の交際は、多くは家庭外に於て行はれるが、かゝる要求に応ずる施設が、即ち単純なクラブを除けば、すべて女性のサーヴィスを附きものとする飲食店である。
 多くの主婦のうちには、それが結局面倒でなくてよいとするものもあるやうである。主人も亦細君を労るつもりで、よそへ人をよぶといふ場合もあるだらう。ものゝ因果関係はなかなか断定を下しかねることがあつて、この風習は、男が求めて作つたか、女の仕向け方に
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