たといふジェスチュアがなく、よほどのきつかけがなければ同席しても話をせず、話をしても大ていはすぐに話題が尽き、その点で自信があると、少し独りで喋りすぎ、相手はそれをなかなか辛抱しないのである。かういふ国民的性格は、実に、われわれの現代の社交形式が、何ものかの媒介なしには保ち得られぬといふ弱点につながるのである。そしてそれは同時に、群集の一人として、そこにはやはり「社会」があることを忘れさせ、その「社会」を互により住みよくする可能性を放擲させるのである。
 かゝる性格はまた、不意に同じ場所に落ち合つた他人同士の、その時に必要な協力をも妨げる場合が多い。これらの例だけでも、かう観ていくと、社会のため、ひいては国家のため、どれだけの損失を積み重ねてゐるかゞわかると思ふのである。国民総力の結合が叫ばれてゐる際、われわれの力はたゞ機械的に結合されるだけでは十分と云ひ難い。一人一人の力が、精神が、いつ如何なる場合と雖も、立ちどころにぴつたりと結びつくことが望ましい。祖国のためにと云へば、なにびとも、誰とでも手を握るであらうといふ信念は、市民としての日常生活のなかでは、さうはつきりと人には見えぬ。そ
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