紙芝居を取締る図のなんと本末を誤れるやである。簡単にいふことを聴くものから槍玉にあげるのは、自信と勇気のない証拠である。
今日まで、国民の指導者をもつて任じてゐた人々は、多く芸術と娯楽の区別を知らず、また、娯楽とスポーツ、或は教育とを屡々混同してゐた。
一国の芸術的生産が、現代日本に於ては、殆ど大都市中心に行はれてゐる関係と、娯楽機関の施設が都市、殊にその中央部に蝟集してゐる状態とは、甚だよく似てゐる。
農山村の青年男女が都会生活に憧れる理由の一つは、「いゝ芝居や映画が見られるから」といふのだといふ事実が発表されてゐた。
さうかと思ふと、大都市の郊外居住者は、殊に家庭を守つてゐる主婦や、その監督下にでなければ街へ出られない年少者は、地方の小都市の方がまだましなほど、娯楽施設との絶縁を宣告されてゐるのである。
この不均衡を国民生活の豊富化のために、早くなんとかせねばならぬ。それにはまづ、都市の娯楽のあるものを、農山村に巡回せしめ、大都市の郊外地域をも含めて定期的に移動する、一種の高級娯楽機関の組織を考へる必要があるだらう。
娯楽的要素は、芸術の中にもあり、また、娯楽を芸術的に
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