赴くところは、国民一般をして、学生に親ましめず、神経質な青年を陰鬱な懐疑に陥らしめ、遂に普通の人間を剛健そのものゝ精神から離反させる効果しかないのである。絶えず撃剣の構へをしてゐるやうな表情も、一部青年指導者の好みに適つてゐるやうだが、戦国時代の武者修業ならいざ知らず、そんな気取りで国民の価値は少しも高められず、却つて、この武術にのみは必要とされる凝結心理の相貌は、自由な思考の力と、背面の声に気附く敏感性とを鈍らせるおそるべき受難型である。われわれの都市風景は、この大なる受難の時に当つて、学生のみがその苦悩を背負つてゐるやうに見えても相成らぬ。それで暢気千万な自堕落書生が、影をひそめてしまふならまだしもだが。
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       九

 これで根本的な問題だけはとりあげたつもりである。
 都市の代表的娯楽としての興行物のことにも及びたいのであるが、これは、もう書く暇がない。
 私は、明日の船で満洲へ渡るつもりである。新興国家の新興都市、新京の現状を見るのが楽しみである。そこでは、民族性を超え、しかも、五族協和の姿を映した理想的近代都市の建設過程が、果して私の眼を驚かすかどうか? そこには若く未熟でも、健康な文化の実が結びつゝあるかどうか?
 今ゐる神戸の宿は、海港都市の最もそれらしい雰囲気のなかにある。
 この種の雰囲気は、国際的といふよりも寧ろ異国的な情趣に満ち、それがわれわれ日本人の立場からさうなのではなく、自分を西洋人の側においてさう見るやうな習慣がついてゐるのに気がつく。
 これは変な錯覚であるが、こゝにある日本的地方色は、私の眼には単なる東洋植民地色なのであつて、これこそ、私の国民的矜りが強ひてさう感じさせるのかもわからぬ。
 日本は、この侵入によくも持ちこたへたものであると思ふ。それにしても、もうひと息である。戦ひの最後の五分間が近づきつゝあるのである。(昭和十五年十月)



底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日
初出:「文芸春秋 第十八巻第十三号」
   1940(昭和15)年10月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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