が、何故にし[#「し」に傍点]好愛着の目的物となり得るかである。
殊に、田巻安里の場合、不思議に思はれる現象は、コーヒーをたしなむかの如く見えて、その実、コーヒーそのものに対する感覚を多分に失つてゐるらしいことである。たゞそればかりではない。まれには、コーヒーを飲むことが、一種の苦痛になつてゐるとしか思はれないことである
少しうがつた観方をすれば、彼は、コーヒーを味はふ時よりも、「おれはコーヒーが好きだ」と思ひ、かつ、人からさう思はれることの方が楽しいのである。それゆゑに彼は、コーヒーを飲む時そのコーヒーの味よりも、それを味はふ自分自身が興味の対象であり、かくまでコーヒーが好きであるといふ自分を、半ば賛美し、半ば憐みつつ、かの黒かつ色の液体を唇に近づけるのである。
彼は、さういふ時、きまつて、ある幻影を頭に描く。「コーヒーばかり飲んでゐた天才」オノレ・ド・バルザツクの幻影である。
彼は、自分のあらゆる姿態《ポーズ》あうちで、机に片ひぢ[#「ひぢ」に傍点]をのせ、眼を青空の一角に注ぎ、その眼の高さに薄手のコーヒー茶わん[#「わん」に傍点]を差あげてゐる瞬間がもつとも美しく、もつと
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