ののやうに思はれます。もちろん、後世に至つて、仏教思想の影響もなくはありませんが、むしろその根源は、国肇ると共に芽生えた一死奉公の赤誠にあると断じて誤りはありません。
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かへらしとかねて思へは梓弓なき数にいる名をそ止むる(楠正行)
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君国のために生命を捧げることが臣子の本懐とするところでありますから、最期を飾るといふことは、最も死甲斐のある死に方をすることであり、犬死といふことが最も恥とされてゐます。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、「葉隠」の有名な言葉ですが、こゝに至つて、死ぬことが忠義であり、武士の念願であるとまで考へられたのです。死をもつて賠ひ得ざるものなしとする勇猛心と、死によつてのみ真に生き得るといふ悟道とが遂に一体となつて、この哲学は今日もなほ国民の精神を鼓舞するに足る力を持つてゐます。
一方、武士道のかういふ死生観は、庶民の間にも影響を与へたと同時に、日本人すべての「生死」といふ観念に、仏教的な厭世思想を超えた、なにかもつと激しい、そして一面には、無頓着と云ひたいほどの特色をもたせる結果となりました。
「死ぬ」とい
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