、日本人は西洋人のやうなお世辞たつぷりの表情は不得手であります。しかしながら、某氏のその時の気持は、察するに、大国の高官として、「あまりうれしさうな顔をしては沽券に拘るから、なるべく、「自然」に、普段のとほりの態度で市民の歓迎に応へよう」といふやうなところではなかつたでせうか。尤もな配慮とも思はれますが、もう既に、そこに誤算があつたので、「自然」にならうとして「不自然」にならざるを得ぬ微妙な心理の狂ひを勘定に入れなかつたからです。
 まことに、「自然」に立派であるといふことほど、普通の人間にとつて大きな修練を要することはありません。喜怒哀楽を顔に現さずとする日本古来の「嗜み」も、その真の精神は、自己鍛錬にあるのだといふことを、こゝでも深く感じさせられます。
 最も素朴な民衆のなかに、最も自然にしてしかも立派な態度を屡々見かけるのは、いはゆる少しの衒《てら》ひもなく、分に安んじて故ら己を屈せざる「自然」そのものの生命を生命とするからでありませう。

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 日本人の死生観は、おそらく仏教渡来以前に、その自然観とともに既にはつきりした形を取つてゐたも
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