神的な方面にも及び、言語動作の上でも、一体に「自然」であるといふことが、最も美しいとされるのであります。これは、必ずしも日本だけでなく、万事に技巧が目立つといふことは、それだけ未熟な証拠、または軽薄な態度として、何処でも心あるものは疎んずるのでありますが、特にわれわれ日本人、その中でもわけて民衆の間では「わざとらしさ」といふことが極度に排斥されるのであります。
これは一面、たしかに、生活態度としての、潔癖と聡明とを語るものでありますが、また一面、その程度を越え、これに囚はれることになると、そこに本末顛倒の現象を生じ、「自然」を衒ふ「不自然さ」に陥ることがあるのであります。ある種の日本人は、この「不自然さ」の故に屡々思はぬ誤解を受け、反感を招き、失策を演じてゐます。
某高官が外国を訪問した際、公式の賓客とあつて、首府の市民は沿道を埋めて歓呼の声をあげたのですが、某氏は、幌を外した自動車の中から、帽子を片手に、軽い会釈を送りました。それが問題になつたのです。なぜなら、市民の期待に反して、某氏の表情は「毎日こんな歓迎は受けてゐる」と云はぬばかりの、平然たる表情だつたからです。
もちろん
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