の心持を人に伝へる方法がひどく拙《まづ》くなつたといふことです。
 これは明白な事実であります。
 いはゆる物質主義の世の中になつて、品物がそれだけ幅を利かし、たいがいのことは金で自由が利くといふやうな時代の風潮とも関係はありませう。御馳走政策などといふ言葉さへあつて、盛大な宴席を設けて、饗応これつとめることなども、その部類に属しませう。しかし、私はそれだけの理由だと思ひません。そんなら、日本よりもつと物質主義の国々で、日本以上にさういふことが行はれるかと云へば、決してそんなことはないのです。
 例へばある人に就職の世話をしてもらつたとします。その礼になにを持つて行かうか、といふよりも、どの程度のものを持つて行かうかといふことが頭痛の種になる。こんなをかしな話はないので、それよりも、ほんとは、どうしたら感謝の気持が十分に伝へられるだらうかと心を砕くべきでせう。元来、そんなことに心を砕くよりも、誠意を籠めて礼を云へば、それが相手に通じる筈なのです。ところが、その「誠意を籠めて礼を云ふ」といふことに、自信がもてない、相手がそれで満足するかどうか疑はしい、と思ふのは、自分の表現力の貧しさを自
前へ 次へ
全42ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング