この点、昔も今も変りはありませんが、こゝで注意すべきことは、日本人のこの風習は、昔と今と、非常にその精神が変つて来てゐるやうです。
なかにはむろん、古人の心を心として、やるにも貰ふにも、昔の仕来りを守つてゐるゆかしい人々もありますが、多くは形式的な「お義理」としてか、または、打算的な「附け届け」としてでありまして、真に同じものを分け合ふ気持などは、めつたに見られないといふ有様であります。
しかし、それでも、日本人はまだ、義理でも打算でもない、たゞ単に気前を見せるとか、相手の驚き喜ぶ顔を見たいとかいふ、単純でかつ不思議な心理から、無暗に相手かまはず物をやりたがり、また、貰ふ方でもわりに平気でそれを受けとるといふ風が、そんなに珍しくはないのです。
外国人にはよほどこれが不可解とみえて、日本人の甘さとさへ評してゐる向もあるくらゐです。甘くみられることは必ずしも恥ではありません。しかし、かういふ傾向は、やはり、精神と形式との遊離でありまして、美しかるべき行為が、その美しさを消してゐる一例であります。
日本人が、贈物として、その物に托する心情は、歌にも詩にもしたいほどの、深い意味を籠めて
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