を窓辺に飾るそれとは全く違つたものであります。
「趣味」が「道楽」となる場合、その極端はこれまた、何をするにしても、それが「道楽」と呼び得る限り、単なる「趣味」では事足りず、心身ともにこれに投じて悔いない状態です。「道楽」と云へば人聞きが悪いやうでもあり、また自ら卑下したことにもなるといふ微妙な語感をもつた言葉で、しかも、一脈、それに徹してゐる矜りのやうなものが言外に匂ふといふのは、その「道《だう》」の一字が、どことなく神聖なものを感じさせるために、自ら慰めるところがあるからだと思はれます。事実、釣道楽、食道楽、勝負道楽などと、この種の道楽は、世界のどこにでも通用しさうですが、日本人の場合は、屡々一種の哲学めいたものを用意して、よかれ悪しかれ、人を煙に巻くといふやり方です。

[#7字下げ]九[#「九」は中見出し]

 風習の上に現れた日本文化の特色の一つとして、私は、「贈物」、近頃の言ひ方をすれば「贈答」について考へてみたいと思ひます。
 徒然草に、「よき友三あり、一には、物くるる友」といふ文句があります。たしかに、日本人ぐらゐ物をやつたり貰つたりすることの好きな国民はないやうです。
前へ 次へ
全42ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング