であるとすれば、「道」の思想に貫かれた日本人の常住坐臥の法則もまた、文化的にみて、異色あるものであります。
「道」といふ言葉の用法は実に広く、いちいち例を挙げて説明をすればきりがありませんが、こゝで云ふ「道」とは、かの「武道」をはじめとして「書道」「茶道」「華道」などに至る、精神と技術との一体観に基く修練の本義を指すのです。
 外国には「武器を操作する技術」はいろいろありますが、これを、「武術」といふ名でさへ一括してはゐません。まして、「武術」から一歩を進めて、「武道」と称する日本人の真意は到底汲むことはできますまい。それと同じく、「書法」はあるが「書道」はなく、特に、「茶道」「華道」に至つては、まつたく日本人独得の生活観から生れたものであります。

「道」の到りつくところは、何れの「道」に於ても人間の完成であり、生活の充実であります。技《わざ》を練ると同時に、肚《はら》ができ、人間が大きくなるとされてゐます。果してそのとほりいくかどうかわかりませんが、理想はそこにおいてあるのです。
「武道」は「武士道」とは違ひますが、勝負を決する精神と技術であり、「武の道」と云へば、必ずしも「武道」
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