現代はその意味において、伝統の危機とも云へるのですが、またそれだけに、慣例の名目で少からぬ陋習が「家」の生活のなかにはびこつてゐます。
これらの陋習は、或は迷信に属するもの、或は家長の越権に基くもの、いはゆる家族個人主義と称せらるべきもの、老人の偏見狭量によるもの、など、様々な原因から生じるのでありますが、主として、「家」の精神の歪曲と伝統の形骸化に帰することができます。
でありますから、これを打破し、是正する方法として、徒らに合理主義を採ることは、更に新たな危険をはらむことになります。
そもそも「家」の観念は、日本の「国家」観念と同様、その最も健全な本源に遡つても、それは、決して、今日の合理的立場なるものと相容れる筈はなく、そこには「宿命」があり、「信仰」があり、「血液」の神秘があるのであります。
家族内に於ける新旧思想の衝突とは、嘗て屡々口にされたことでありますが、個々の特別な場合を除いて、多くは、「若い合理派」が、年長の保守的非合理派と対した結果であらうと思はれます。
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「家」の観念を基礎とした様々な現象が、日本文化の特色の一つ
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