云ひます。この母がゐるからでありませうが、それは外国人の見方であると同時に、現代の日本家庭の、いくぶん「子供本位」の履き違ひを諷刺した言葉とも受けとれます。
 母の子供への献身は、妻の夫への献身に通じるものであります。これまた、男女同権、夫婦平等を称へる西洋人にはもちろん、男尊女卑の思想に養はれた東洋の他の国々には理解しがたいものでありませう。
 なぜなら、「献身」は必ずしも尊卑の関係から生れるものではなく、私を滅した愛の悲壮なすがたでもあり得るからです。これまた、夫といふ男性に対する女性たる妻の愛情だけでは説明のつきかねる、なにか超個人的な、夫の背後にある、より大きなものに対する奉仕を含んでゐるとみるべきでありませう。それは「家」であり、「国」であり、従つて、夫の「仕事」であります。

 かういふ根本的なことは、どうかするとたゞ風習として、まつたく自覚の外に、たゞ形として世代から世代に伝へられるものでありますから、その形は時として破れ易く、またその形は単に形として残るに過ぎないことがあります。これが多くの他の風俗的現象とともに、因襲として価値なきものと考へられがちな所以であります。

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