、支那臭を帯びた味噌汁などといふものを、これが日本料理だと云つて出されたら、恐らく箸を取る気にもなれますまい。風味はともかくとして、そこには、なにか、冒涜といふやうな言葉に通じる倫理的な不純さがのぞいてゐる気がするからです。
 努めて及ばざるは致し方がありません。しかし、及ばざることを知ることが必要であり、知つてゐる以上、相手を弁へたらよからうと思ふのです。
 同化といふことは、これでなかなかむづかしいのでありまして、徒らに外国のものを日本色で塗るといふやうなことではありません。
 支那料理は、支那料理を好むもの、支那料理の味がわかるものが食べればよいのです。或はまた、日本料理のなかへ支那料理風のものを採入れて、一品異国色を調和を破らない程度に混ぜることも面白いでせう。しかし、純正な支那料理を、日本人のあまり舌の利かない口にも合ふやうに改悪して、これが支那料理だと誇称することは、およそ、日本人らしくない無神経なやり方ではありますまいか。これを「はしたない」といふ言葉で現します。「嗜み」を欠くといふ意味であります。
 西洋料理についても同断です。如何はしい洋食の氾濫は、まつたく無きに如か
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