共に帰国した、その直後に起つた事件がこれだといふことがそこでやつとわかりました。純洋館の生活にまだ慣れてゐない日本人の、自分でそれほどとは思つてゐない不覚が、結局この始末なのであります。
ところで、一方、かういふこともあるのです。これも近頃の話ですが、支那から数人の名士を招いてある団体が交歓をした、その節、一夕、東京の有名な支那料理店に席を設けて御馳走を出したところが、客の支那名士は、微笑をたゝへて、主人側の日本人に向ひ、「大変おいしい日本料理ですね」と云ひました。支那料理のつもりだらうが、一向支那料理らしくない。風味がまるで違つたものだといふ意味を、婉曲に述べたものと察せられます。
これ果して、主人側の予期したところであるかどうかは知りませんが、かういふ現象も往々にして起り得るわけで、それは、日本人の同化力の例外的な現れではないかと思はれます。これは、取りやうによつては、それでいゝのかも知れませんが、私の日本観からすれば、むしろ、「似而非《にてひ》」なるものの存在を極度に排斥するわれわれの潔癖が、さういふものを許さないのではないかと思ふのです。
立場をかへて、西洋化した刺身や
前へ
次へ
全42ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング