ぬと私は常に感じてゐるのですが、これはたゞ、洋食の「まがひ」だといふ不体裁に加へて、日本人の味覚を著しく台なしにする曲者です。こんなものを平気で食つてゐると、ちやんとした日本料理の味がわからなくなるのは請合ひです。洋食にも料理屋風の調理と、家庭風の調理とがあります。公式の献立と略式のそれとがあります。安く食べさせるためには、家庭風の料理を、略式の献立で出せばいゝのです。さういふことをしてゐる洋食屋はどこにもありません。アメリカ風のランチはありますが、こんな寒々とした事務的な食事は、日本人の胃の腑を満足させはしません。さうかと思ふと、きまつた安い値段の定食に、馬鹿々々しい儀式用の献立を摸した皿数をつける。従つてどの皿も満足に食へる皿はないのです。かういふ西洋式の採入れ方は、日本人の恥辱であり、大きな損失です。滑稽で、殺風景で、がさつを極めた現代風俗の一例がこゝにもあるのであります。

[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]

 およそ、風俗を乱し、生活を歪め、国民の品位を傷つけ、惹いてはその実力を低下させる最大の原因は、何事によらず、「好い加減なところで間に合せておく」といふ、いはゞ、最善を尽してなほ及ばざるを慣れる精神の欠如だと思ひます。この「間に合せ」主義は、事急を要する問題が次々に起つて来て、それを処理するのに絶えず忙殺されてゐた結果で、眼前の事態にのみ気を取られる余裕のなさを語るものでありますが、それにしても、これが世間普通のことになつて、誰も怪しむものがないといふ風潮は、決してさういふ口実によつて救はれることはできません。
「行き当りばつたり」は概ね「やつつけ仕事」を生み、臨時の処置は、常にいはゆる「バラック」式なものを作りあげ、その場を切りぬけさへすれば、あとはどうにかなるといふ姑息な気持を増長させます。そして、「通用する」といふことは、「まあなんとか間に合ふ」ことであり、「間に合ひ」さへすれば、その物事の真の価値は、専ら第二として、あまり重要とは考へないといふ、極めて安易な態度を自他ともに是認することになるのであります。
 国民全体のかういふ生活態度は、国政の運用と相俟つて、日本の現代文化に、ひとつの憂ふべき空隙を生ぜしめたと、私は信じます。
 いろいろの事情で、十分なことはできないといふ場合、われわれはすぐに「我慢をする」といふのですが、その「我慢」を
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