な気持で、「たしなみ」を忘れた言葉を殊さら使ふといふのが現状で、これではいけないのです。日本式とか西洋式とか二つのことにこだはらず、また旧式とかモダンとかいふ標準に囚れないで、ほんたうに力強い美しいものを生活のなかに取入れて行かねばならぬと思ひます。さうしないと国民の品位といふものは全くゼロだと思ひます。大陸に進出して行く日本人を見ましても、同胞の間に於てさへ、指導者をもつて任ずるのにはどうかといふ疑ひをもたせられるやうな人が、決して少くないと思ふのであります。
それではどうすればよいかと考へると、たいへん簡単で、「たしなみ」をもてといふことが、根本になるのであります。
「ゆかしく凜々しく」
臣道実践といふことが、大政翼賛運動の精神として示されてゐますが、これは、日本国民の当然践み行ふべき道を、老若男女を問はず、職業の如何に拘らず、忠実に守つて、それぞれ分に応じて精いつぱい自分の力をお国のために捧げるといふことであります。
ところで、私は、この言葉を、たゞ「働け、働け」といふ意味にとりたくはありません。十分な働きをするためには、まづ仕事のしかたが上手でなければなりま
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