文化の向上といふことを考へた場合に、一国の富の程度が低いといふことは必ずしも物質的に文化水準が低いといふばかりでなく、富をふやす能力がないといふ意味に於て、何処かに精神的な貧しさがありはしないかと思ふのであります。人が多い割に生産能力が低い。例へばイギリスの場合を考へて見ても、植民地が多いといふ有利な条件はあるけれども、その上、工業の発達によつて経済力を確保してゐる。海外に物資を求めるといふことは、南米にしても支那大陸にしても、平和裡にこれができなければならない。若しそれに成功しないとしたら、まだ国民の総力を発揮したことにならないのであります。日本が貧乏だといふことは、われわれにとつて宿命的なものゝやうに考へられてゐましたが、もつと精神的な工夫努力を払へば、当然、必要なだけ国を富ますといふことが可能なわけであります。
 日本がいつまでも貧乏であるといふ原因の一つとして、濫費癖といふことが考へられます。例へば今、米が不足だといひますが、日本人はどうも米を食ひすぎるやうです。漬物がうまいからもういつぱい、お茶づけでもういつぱい、炊きたての御飯だからもういつぱいといふ風に、満腹感を感じなければ満足しない。しかし栄養方面から云へば、腹いつぱい喰べたからと云つて、それでいいとは云へないのです。さういふことに心をつかへば、米の消費が半減できるのぢやないかと思ひます。かういふことは、訓練すればできると思ふのです。例へば兵隊が入営した当初は、腹がすいて仕方がないが、一月もたてば与へられた分量で十分になるといふやうに、訓練次第でなんとかできると思ひます。
 仕事の仕方などにしても、非常に永い間机にかじりついてをりますが、能率はあがらない。さう考へてくると、どうしても貧乏でなければならぬ原因、といふより、貧乏であるといふことの責任は、国民すべてが負はなければならぬと思ふのですが、これを納得のゆくやうに説明して全体の運動にして行かなければならないのであります。

     生活の精神と技術

 この間、ヒツトラー・ユーゲントが来て、高等学校の寮をみせたところ、ヒツトラー・ユーゲントは驚いて、こんな生活をしてゐて、これで日本の指導者が生れるだらうかと云つたさうです。更にドイツに帰つて、日本で一番不愉快だつたことは、その寮を見た時だつたと語つたことが伝へられてゐます。これは、日本人の生
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