な気持で、「たしなみ」を忘れた言葉を殊さら使ふといふのが現状で、これではいけないのです。日本式とか西洋式とか二つのことにこだはらず、また旧式とかモダンとかいふ標準に囚れないで、ほんたうに力強い美しいものを生活のなかに取入れて行かねばならぬと思ひます。さうしないと国民の品位といふものは全くゼロだと思ひます。大陸に進出して行く日本人を見ましても、同胞の間に於てさへ、指導者をもつて任ずるのにはどうかといふ疑ひをもたせられるやうな人が、決して少くないと思ふのであります。
 それではどうすればよいかと考へると、たいへん簡単で、「たしなみ」をもてといふことが、根本になるのであります。

     「ゆかしく凜々しく」

 臣道実践といふことが、大政翼賛運動の精神として示されてゐますが、これは、日本国民の当然践み行ふべき道を、老若男女を問はず、職業の如何に拘らず、忠実に守つて、それぞれ分に応じて精いつぱい自分の力をお国のために捧げるといふことであります。
 ところで、私は、この言葉を、たゞ「働け、働け」といふ意味にとりたくはありません。十分な働きをするためには、まづ仕事のしかたが上手でなければなりません。それからまた、仕事を含めた日常生活をなるだけ有意義に送らなければなりません。いひかへれば、衣食住を通じ、肉体的にも精神的にも無駄のない、健康な、そして同時に趣味のいゝ暮し方をしなければなりません。人と接するにも、常に気持よく接するといふのが、お互の生活を明るくすることであります。
 日本人がその日本人らしさによつて、お互に心を許し合ひ、共に楽しむことのできるやうに、お互はせいぜい自分の「人間」を磨き鍛へなければなりません。
 日本人らしさとは、私の考へでは、日本精神をほんたうに身につけてゐるといふことで、すぐ興奮したり、人前でえらさうなことを云つたりすることではなく、昔からわれわれの祖先がそれによつて「人として」の値打を示した「ゆかしさ」と「凜々しさ」であります。
 当節、いろいろな人が、いろいろな教へを説いてゐますが、私はなにもむづかしいことは云はなくてもいゝ、日本人は、男も女も、ひとしく、日本人として「ゆかしく」「凜々しく」あれとだけ申したいのであります。これこそ、わが日本人の真の矜りであり、われら臣民として大御心にそふ誠のしるしであると信じます。

     日本人の濫費癖
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