れがないとは云へない。これは絶対に統一強化さるべきであつて、そのためだけにでも、相当完備した永久的な研究製作所の独立を必要とするのである。
 このアカデミイに最も期待すべきは、技術家、殊に、新俳優の養成である。
 西洋映画の強みは、監督の技倆や機械的な設備以上に、かの豊富にして熟練な「教養」と「生活」をバツクとする俳優群の魅力ある演技なのである。この点、フアンク氏は、その直接使用した俳優への好意ある批評を含めてゞあらうが、日本映画俳優一般への認識に恐ろしい「甘さ」があるやうに思へる。彼はむろん、この領域に於て専門的批判者ではないが、少くとも、東洋人に対する好奇的な眼が、俳優の特性なるものを忘却して、愚かなる人間としてのエキゾチツクな美を謳歌せしめたのだと見てさしつかへない。これも映画的効果としては十分生かし得るものであるが、同国人たるわれわれにとつては、エキゾチスムは、零《ゼロ》と計算すべきであるから、フアンク氏の御世辞で鼻を高くするには当らぬのである。
 日本紹介のために「文化映画」よりも「劇映画」の効果あることを説くあたり、流石《さすが》に、欧羅巴《ヨーロツパ》的教養を感じさせて、
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