、此位にして置きます。
 次は歌舞伎の事を申上げます。歌舞伎は所謂近世の民衆劇であります。先程お話しました様に能狂言が中世以降、武家、社会の上層階級の武家の手に依つて保存され、其の嗜好に適した演劇であつたとしますと、歌舞伎は全く民衆の手に依つて作り出され、民衆に最も愛好され、民衆に依つて育てられて発達したものであります。
 之は徳川幕府の初め慶長年間に起つて来た一つの演劇形式で、もう既に三世紀の歴史を持つて居ります。之は記録に依りますと阿国と云ふ一人の少女があつた。この阿国と云ふ少女は出雲の国の或る神社に勤めてゐた巫女であります。巫女と云へば神社のお祭りに踊りを踊つたり歌を唄つたりするものであります。其の踊や歌の素養がある為にどうかすると其の神社のお社を改築すると云ふやうな場合には、其の当時の都の京都に出て来て、矢張り踊りを踊つたり歌を唄つたりして金を集めると云ふことをした。此の阿国と云ふ少女は仲々器用な少女であつて神社の前でやつた芸に色々なものをつけ加へる。各地方で行はれて居る色々な催しの要素を採入れて大勢を喜ばせる様な一つの仕組を考へた。之が詰り歌舞伎の元々の起りだと云ふことが言ひ
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