ばならぬ。さう云ふ状態は却々一朝一夕で得られるものではないのであります。同時にそれは知らず識らずの裡に引込まれて行くと云ふ性質のものであります。で、現在の能には家元と云つて流派がある。其の流派は五つあります。観世、宝生、金春、金剛、喜多と云ふ五つの流派があつて夫々の劇場を持つてゐます。能の方の番組、プログラムについて一寸お話ししますと、大体五つからなつてゐる。詰り五つの演目からなつて居ります。極く解り易く云ふと最初のものは神または神に準ずるものを主役としたもの。能では主役をシテといひます。第二は男を主人公にしたものであります。男と云ふと之は矢張り日本の一つの習慣でありますけれども、武張つたものと云ふ事を意味するのであります。ですから男を主人公にしたものは主として武人、武士であります。さもなければ修羅もの、非常に乱暴な人物であります。其の次に三番目に女、四番目に狂女、之は気の狂つた者、それから五番目は鬼、または動物、此大体五つのものを以て一組としまして夜の興行とするのが習慣であります。
それで能の主題或は思想と云ふものはどう云ふものかと云ふと、一口に云へば人間の煩悩、執着とか、或は迷妄
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