形式は単純でも深い象徴性のために、さういふものが却々普通の人の興味の対象にはなりにくい。何か一つのものを突破られなければその真の魅力が感じられない。さう云ふものであります。之は決して外国の方許りでなく日本人でも能と云ふものは特別親しんだものでなければ、今日では却々観賞が出来ないものになつてゐるのでありますが、併し一旦この能が面白くなりますと、もう恐らくどんなスペクタクルよりも此能が面白い。外の芝居の面白さには限りがある。併し能の面白さには限りがない。普通の芝居の面白さは、大体に於てテーマや筋立の面白さが主である。能の場合には刻々の舞台のイメージが純粋な感動を与へるのです。泣くと云つてもたゞ悲しいから泣くのではなく本当の美しさに打たれて涙を流す。これは、舞台の芸術の中では能芸術だけがさう云ふ境地に這入り得るものである。で、能は一体何処が面白いのだ、一口に話して呉れと云ふが却々実際は一口に話せるものではない。能の面白さを口で話すことは、料理の話を旨くするよりももつと難しいのであります。ですから能に這入る為には一通りの色々な予備知識をもつよりも、寧ろ自分の感情、感覚を研ぎ澄ましてからでなけれ
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