典悲劇の作者と役者が違つてゐるのとよく似て居る。能の方は謡曲と云ふ戯曲のテキストがあつて、さうして其謡曲と云ふのは歌はれる様に書かれてあります。之が型と云ふ役者の所作、それから囃しといふ音楽を伴ひ、全く外の劇場の舞台と違ふ能舞台といふ特殊な舞台で演ぜられる一つの楽劇であります。狂言といふのは其の言葉の由来に色々説がありますけれども、元来筋道の立たないといふ意味をもつた言葉です。之は能狂言の発生以前から行はれて居る猿楽といふ舞楽がありますが、其の流れを汲んだものであつて滑稽と諷刺とからなつて居ります。能の方は一種の文章体で殊に韻律を主とする、謂はゞ散文詩の形で書かれてあるのに反して、狂言の方は専ら其の時代に用ひられた普通の言葉で書かれて居ります。従つて写実的な要素が多く、武家、大名の私生活を描いてゐることが狂言の特色であります。今日能狂言は東京で殆ど例月やられて居りまして非常に盛になつて居ります。日本に来て代表的な芝居を見るといふので能をよく観る人があるのでありますけれども、大体能を見て居ると眠くなる。眠くなる様に仕組まれて居る芝居の様に考へられるのでありますが、之は実際時代の隔たりと、
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