在の新劇を謳歌するつもりはありません。また歌舞伎劇新派劇を故ら排撃しようとも思ひません。何処からどう生れるにもせよ、現代には現代の演劇が必要なのでありまして、われわれは、芸術家として、やれ写実主義だとかやれ浪曼主義だとか、又はもつと新しい様々な近代主義的傾向に、それぞれの立場を結びつけてゐるに相違ありませんが、新劇の実際を考へますと、これは最早、芸術運動といふよりも、寧ろ一個の文化運動であるといふ信念が湧いて来るのであります。
以上、甚だ悲観的なことばかり申したやうでありますが、新劇も既に、年三十であります。そろそろ、分別もつき、身を固める覚悟もできて来ました。最近の一二年を境界として、戯曲の方面では、特に著しい「現代性」が見られ、有望な新作家が、それぞれ特色ある本質的な才能を示し初めたことを注意したいと思ひます。内容の上からも、表現の上からも、「新時代」が感じられます。たゞ、この上は、それらの作家に、よい舞台を提供したいと思ふばかりです。
それでは、どういふ点が演劇として「新時代的」であるかと申しますと、例へて云へば、声の出し方が違つて来たといふやうなものです。義太夫で鍛へた声と
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング