西洋風の声楽で鍛へた声との違ひとでも申しませうか。別に、今日の所謂尖端的傾向を取入れてゐるとか、大胆な思想を含んでゐるとかいふ意味ではありません。早く云へば、西洋の芝居を何んとなくよく飲み込んで、それを巧に消化し、現代日本人の生活を透して、十分にこれを演劇化してゐるといふことです。歌舞伎劇乃至新派劇の伝統から全く離れ、しかも、西洋劇の表面的模倣を脱し得るといふことは、なかなかの難事であります。新劇がさういふ時代に到達したことを、多くの批評家もまだ指摘してをりません。皆さんのお耳にも、従つて、まだこの消息は伝つてをりますまい。今夜、この機会に、はつきり申上げておきます。舞台は文学に遅れること二十年と相場がきまつてをります、が日本ではそれほどの距《へだた》りがなくてすむかも知れません。皆さんが多分、スペクタクルとして今日唯一の満足を得てをられるであらう西洋映画の魅力は、映画専門家の如何なる技術にも拘はらず、西洋演劇の既に示して来た魅力に負ふところが大であることを私は信じるものでありますから、そのうちに一人のベルクナア、ハーバート・マアシヤル、リイヌ・ノロ、又はデトリツヒに匹敵する現代俳優が
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