のだと、うろたへるやうになる。
三
日本をより善くしたいといふ欲望が、祖国愛といふ名で呼ばれるなら、さう呼んでも差支ないではないか。この場合、他の国より善くしたいと希ふのは、人間の美しい弱点だ。それも、結局、「何を善いといふか」の問題になるが、例へば、警察網が完備し、粗製濫造品が世界の市場を脅やかし、外遊客がゲイシヤと人力車に感心するといふやうなことを指すのだとしたら、それはもう、美しい弱点とは云へなくなる。
四
その意味で、日本を善くするといふ、その「善く」といふ観念だけは、飽くまでも、世界共通のものにしなければならず、それならば、日本がいくら善くなつても、他の国々は少しも迷惑はしない、云ふところの国際主義と矛盾はしないのである。
理窟はまあさうだが、一つ困つた問題がある。それは他の国々も、さう理想的に行つてゐないといふこと、日本と略々同じやうな「醜い弱点」をもつてゐるといふことである。林君は魯迅の言葉を引いてゐるが、その気持は、日本人だつてあるのだ。あるけれども、なかなかああ云ひ切るものが、われわれの周囲にはゐなかつた。
他の国から征服されるといふこと、例へ文化の面だけでも、他国の優越的支配下に置かれるといふことは、ただに民族的自尊心を傷けるのみならず、そこからは、断じて新しい生活が芽を吹かないのである。過つて、敵に正義の名を奪はれても、戦争には負けてはならぬ。少くとも、国家の自由だけは存続させねばならぬ。ここのところ、政治的にはいろいろの方便があらうと思ふが、愈々戦争となつたら理窟はもう通らぬ。お互にお互の生命を守り合ふのが当然だ。そして、これは止むに止まれぬ「愛国的行為」である。
五
僕は、愛国心といふもののうちに、民族的自尊心が含まれてゐることを指摘したが、それは何れも、その現はれ方によつて弱点ともなり、強味ともなること、他の総ての性情的特質と同様である。殊に、愛国心といふ言葉は、今日に於いては、母性愛などといふ言葉と同じく、月並で、空元気で、卑俗な響きを伴ひ易く、従つて、無教養な権力階級並に、これに迎合せんとする大衆の便利な標語として役立ち得る語感に満ちてゐる。森山君が「最初この問題では気が進まなかつた」理由もここにあり、僕も亦、嘗て、「国を憂ふる」といふ言葉ほど気恥かしい言葉はない、と云つ
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