です」と答へた。
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 特別にこれといふところを抜き出すのは、なかなか骨が折れるが、
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――毎日書きつけてゐるこれらのノオトは、うつかりすると書いて発表するかもしれない「悪いもの」を、うまく堕《おろ》してしまはうといふわけなのだ。
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とあるのでわかるやうに、彼は、好んで発表する意思がなかつたものとも考へられる。
 従つて、次のやうな文句、
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――もう批評はできなくなる。私の知らない間に私を褒めてゐてくれる作家たちを、そのたんびに怒らせてしまふだらう。
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の如きは、本音とはいひながら、よくもこんなことがいへたものだと思ふ。また、
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――誰も私を愛してゐないといふことは、私の友人たちを悦ばせることなのだ。
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に至つては、彼のために悲しむことをさへ躊躇させる放言だ。しかし、そこまで真実がいひたい彼だつたのである。
 三十八歳の三月、
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フィガロにて。会計で名刺を出す。
「少しばかり貰ふ金があると思ふんですが……
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