の」を無暗にかつぎ上げるかはりに、新派劇が今迄開拓した、磨き上げた、ほんたうに「物になつてゐる部分」を、そのまゝ、これからの芝居に取り入れて、「明日の演劇」を作るやうにしたいと思つてゐます。
新派の脚本といふものは実際ひどい。馬鹿馬鹿しい。通俗劇でもいゝから、せめて、ほんたうの感動を与へてほしい。それでも見物は見に行きます。それは、つまり新劇といふやつが、一層「面白くない」からでせう。
新劇はなぜつまらないか。これは、役者らしい役者、言葉がわるければ、役者と云へる役者がゐないからでせう。それでゐて、徒らに「六ヶ敷いもの」を演《や》りたがる。「深刻めいたもの」をやりたがる。「非戯曲的な戯曲」をかまはずに舞台にかける。見物の迷惑此の上なしではありませんか。翻訳劇と云へば、すぐに、イプセン、ストリンドベリイ、……ゲオルグ・カイザー……ですか。創作劇と云へば何は扨て置き……いや、こいつは、あとにしませう。
処で、これも日本人の悪い癖ですが、総て仕事を甘く見る。人がやる、すぐに自分にも出来ると思ふ。やつて見るとうまく行かない。あゝおれは駄目だ、死んでしまはう。一寸お待ちなさい。あんた、なかなかうまいぢやありませんか。さうかしら、ひやかしちやいけません。ひやかしやしません。あんたぐらゐにいけば、どこへ出ても恥かしくない。ほんたうですか。ほんたうですとも。早い話が、あんたゞけの××をもつてゐるものは、そんなにたんとはありませんよ。まあ、もう一度、やつて御覧なさい。うむ、うまいうまい。見込があるでせうか。なに、そんなに有名にならなくつてもいゝんです。え、もう新聞に出てゐましたか。やつぱり、人がゐないんですね。私、今度、かういふことをやつて見ようと思ふんですがね……
女学校で歌を作ることを習ふ。歌人にならうと思ふ。ヴァイオリンを習ひ出した。舞台で着る裳模様が目に浮ぶ。作文が得意だ。原稿用紙に自分の名前を刷り込ませる。校友会の余興劇で主人公を演つた。『俳優表情論』を書いて『×劇×誌』に送りつける。「黒白」を弁ぜざるも甚しいではありませんか。
よく人が云ふことではあるが、素人劇といふものが存在し得るだけに、芝居の「玄人」にはなりにくい。然し、現在の日本には、現代劇を演ずる為めの「玄人」が欲しいのです。現代劇を書く為めの「玄人」が、もつとあつてもいゝのです。現代日本の劇作家中、二
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