ない。気の毒になるやうなことはない。安心して芝居が観れる。これだけは有難い。

 演劇講演会は、時々あります。劇場が主催することもあり、コンフェランシャの如き講演機関が主催することもあり、また学校が主催することもある。然し聴衆は固より一定してゐません。
 演劇に関する研究雑誌、研究書籍が極めて少く、殆ど無いと云つてもいゝのは、兎に角、仏蘭西の公衆が、演劇に冷淡な為めではなく、又専門家が不親切な為めでもなく、仏蘭西人は一番「芸術は学問でない」ことを心得てゐるからでせう。それよりも、「理窟を云はなければ芸術がわからないと思つてゐる」連中が割合に少いからでせう。
 無名作家の劇的作品募集といふやうなことも、近頃、「既成作家」の一部が集つてやつてゐますが、また新劇団体の一つが、それをやつたことがありますが、素人が集まつてそんなことをやつてゐる様子はありません。
 それよりも、一時、批評家の間で「無名作家撲滅会」といふものを組織してはどうだといふやうな議論さへありました。それは猫にも杓子にも脚本が書けると思ふ弊風――どこでも同じと見えます――を一掃する為めだといふのです。これは結局、不幸な文芸落伍者を少くするといふ意味で、有意義な社会事業だといふものもありました。つまり無名作家の作品を募集して、一々、それに対する意見を述べ「そんなもの」を書く不心得を諭してやるのです。そして、「そんなもの」を書く暇に手職でも覚えることを勧告してやるのです。どうです。大阪演劇聯盟でも、さういふことをおやりになつては。

 第二に、日本の芝居についての感想をといふ御註文ですが、これは、どうも、あまり芝居を見に行かず、殊に日本の劇壇の事情に疎い僕にとつて、甚だ危険な問題かも知れません。見当違ひを平気で云ひさうな気がします。若し変なことを云つたら、どうか、読者諸君の御叱正を願ひます。殊に大阪のことは、全く不案内ですから、次に述べることは、東京だけのことゝ思つていただきます。
 先づ、旧劇は、あのまゝ、そつとして置きませう。僕はちつとも不満がありません。西洋人にはわからないところなど、大にいゝと思ひます。
 次に新派劇ですが、これは何んとかしたいものです。僕は、脚本がつまらないから殆ど見に行きませんが、所謂俳優の芸としては、新派劇、決して軽視すべきではないと思つてゐます。それ処か、新劇などゝいふ「いかも
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