い男かどうか、西洋人の真似をして人より進んだつもりでゐるかどうか、正宗氏にわかる筈はないと思ふのである。
「僕は西洋へ行つたことがある」と云ふと、「西洋へ行つたらどこがえらい」とやり返す。
人が西洋料理の食ひ方を心得てゐる。それを見て癪に触る。従つて、自分は、フオークで肉を刺すぐらゐのことは心得てゐながら、わざわざ手づかみで食ひ、それが却つて、「えらい」と思ふ、さういふ手合が、まだその辺にゐるやうですが、さういふ気もちもわかるにはわかるが、あまり大人げない。正宗氏には、ちつとさういふところがありはしませんか。
洋行した男が、二口目には「あちらでは」を振り廻す、たしかに聞きづらい。しかし、これは、洋行したといふことが「得意らしく」見えた時代の遺伝的感情である。西洋に行つた人間が、だんだん得意であり得なくなると、その「あちらでは」が、そんなに聞きづらくなくなるだらう。
西洋へ行つたから「人より進んでゐる」と思ふ人間も馬鹿の骨頂ながら、西洋へ行つた人間の云ふことでさへあれば、「西洋人の真似をしてゐる」と思ふ人も、凡そ量見が狭いではないか。
心外の余り、先輩に対する礼を忘れて、やゝ語調
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