れはこの劇場の生命である。

 これは、余計なことかも知れない。が、批評をするものゝ立場から、それが許されることであらうと思ふから、言つてしまふ。それは、聞くところによると、向う二年間、此の劇場では外国劇以外には演らないといふことである。これが事実だとすれば、僕は甚だ不満である。結果に於て、上演目録が外国劇ばかりで満たされることは止むを得まい。然し、最初から、さういふ計画で、さういふ覚悟で、一つの劇場を経営する(営利的でないだけそれだけ)といふことに、どれだけの意義があるだらう。
 勿論それは、日本に、外国劇の優れたものに匹敵する作品がないといふ理由であらう。或はまた、優れた外国劇の紹介によつてのみ、我が国の新劇運動を誘導刺戟し得るといふ考へからであらうが、それなら、若し明日にも、日本の作家中から、ゲエリングに対し、チェホフに対し、マゾオに対し、毫も遜色のない作品を発表するものが出たらどうするのだらう。そんな筈はないと云ふやうな乱暴なことは誰も云ふことはできない。
 僕は万一、二年以内に、我が日本にもイプセン、モリエール、シェクスピイヤが出て来た時に、築地小劇場は、真先にその作品を上演
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