たしかに誤訳だと思はれる箇所が可なりあつたやうに思ふ。そして、それは疑ひもなく、英訳の誤訳を伝へたものである。
かういふ社会の、かういふ境遇にある人物が、好んで、或はわれ知らず使ふ言葉や文句のうちには、甚だ難解なものがあることは云ふまでもない。その意味は伝へ得るにせよ、この調子は、そのニュアンスは捕へ難い。而も、此の『休みの日』は、その調子とニュアンスの興味によつて心を惹き、さては動かすものである事を知らねばならぬ。それを除いての興味は薄つぺらなものになる。それを除くと「あら」が目立つ。眼ざはり、耳ざはりになる箇所ができて来る。同じ仏蘭西人の生活でも、もう少し、吾々の生活に近い生活がある。さういふ生活に材を取つた優れた脚本がざらにある。ほんたうに、そして有効に仏蘭西劇を紹介するなら、さういふ種類のものを演つて欲しい。
築地小劇場第一回の公演は、かくて、僕を全然失望させないまでも、いさゝか期待を裏切つた感がある。然し此の点は、第二回、第三回と漸次に償はるべきことを祈つてゐる。
僕は何等の判決も下さなかつたつもりである。さういふ気持ちにさせない何ものかゞ、築地小劇場の中にはある。そ
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