場合に、翻訳による此の種の原作の再現は、僕の考へでは、絶対的に不可能である。それを敢てすれば無意味である。早く云へば、『海戦』の翻訳に、上演に、何処に芸術的の美があるか。若しあれば翻訳を通じて、原文を感じ得る箇所だけであると云つて差支ない。沈黙と静止の或る瞬間に描き出される――これは舞台監督の技倆を示すものである――絵画的効果のうちに於てゞある。
 僕は、表現主義の敵ではない。その芸術的手法は、新らしいといふよりも優れたものである。若し、表現主義者が、悉く反抗と、狂燥と、渋面と、それ等の要素のみを人生のうちから選び出す事に興味をもつてゐるのでなかつたら、僕は表現主義者を友人と呼ぶであらう。そして、その友を日本に有ちたい。

 第二の『白鳥の歌』は、名優を俟つて始めて観るべきものであると云ふに止めよう。

 第三の『休みの日』は原作を読んで相当に面白いものであると思つた。僕は、滞仏中その上演を見てゐない。それがヴィユウ・コロンビエ座の上演目録にある事は知つてゐた。別段気を附けてゐた訳ではないが、到頭見ずにしまつた。この脚本を、築地小劇場が、その上演目録中に加へた事は極めて単純な理由である
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