、極めて知識の浅い僕は、多く学ぶところがあつた。然し結局、劇の形を藉りたポエジイ・フィロゾフィツクに外ならない。たゞ表現の形式から云へば、言語のイメージが、様々な排列と重畳に於て形づくる一種の交響楽であり、色彩と運動と曲線の極めて様式的な想念喚起法であるといへる。然るに、その言語のイメージは、云ふまでもなく、翻訳によつて多少なりともニュアンスを変ずるものである以上、そのイメージが抽象的であればあるほど、また瞬間的であるほど、原作の与へる効果と隔り、殊に、屡々全く異つた効果をさへ生むに至ることは誰しも感じることでなければならない。淡い不安が、極度の絶望となり、厳粛な命令が、滑稽な威嚇とならぬものでもない。それは極端な例であるとしても、これに似た喰ひ違ひは一語一語、一句一句のイメージの中に存在して、総体としての印象、効果に甚だしい誤差を作つてはゐないか。これは誤訳などゝいふ問題ではなくて、翻訳なるものゝ全体に亙る問題であるが、殊に、此の種のイメージのリズムを生命とする、たゞそれのみを生命とする傾向、種類の作品に於て、慎重な考慮を払はなければならない問題である。まして、演劇の形式を取つてゐる
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