やり方ではなからうか。言ひ換へれば、故《ことさ》らに好意ある観客を悩ますやうな「公演」を敢てする必要がどこにあるかといふのである。
 失礼な言分のやうだが、僕の真意を酌んで貰ひたい。全く、あの程度の俳優があの種類の脚本を演じることは無謀である。あゝ云ふ種類の外国劇を現今のやうな蕪雑な日本語で演じることは頗る危険である。現在の観衆を前にして――殊に観衆を尊重する意味に於て――かくの如き上演目録は、恐らく上乗のものではあるまい。

 こゝに一つ、劇場側の弁明を仮想して、当分の間は「外国劇及びその演出法」の紹介をするに過ぎない。まあ、ざつとこんなものだ、といふぐらゐの意味しかないのだ、とする。
 それもいゝだらう。それなら、もつと短いものを選んで欲しかつた。
 これだけのことを言つてしまへば、一つ一つの舞台について、演出上の細かい批評はしたくなくなるのであるが、これも義務とあれば拒むわけにも行くまい。実を言へば、その方にはいくらか、僕の心を惹くものが無いではなかつた。

 第一の『海戦』は初めて見る表現主義的演出といふのださうである。元来、表現主義の芸術、更にその主義の演劇といふものについて
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