つたか。さういふ脚本があるか無いか、それもまあ問題にすれば問題にならうが、勿論比較的の話である。
然し、僕が最も遺憾に思ふのは、それだけの大きな抱負と尊い使命をもつて生れた劇団が、今日まで殆ど物質的努力の大部を劇場そのものゝ建築に用ゐてゐたやうに見えることである。僕に云はせれば、それだけの金力があれば、三年なり五年なりかゝつて、完備した法式による俳優の養成が出来たらうと思はれる。
固定劇場をもつといふことは、たしかに、一つの劇団に取つて有力な条件に違ひない。しかし、それは、「公演」といふことを考へる時である。「公演」は「努力を見せる」ものではなくて、「出来上つたもの、少くとも出来上つた部分を見せるもの」でなければならない。近々半年の間に、実際、何も出来るものではない。まして、多くの場合、今日の日本では、或るものを造る前に、今までのものを排除しなければならないのだから、その困難は一層大である。
僕は徒らに理想論を唱へるものではない。色々の事情で「公演」を早めることを余儀なくされるであらう。たゞ、その場合に、その「公演」が「公演」の目的に反するやうなものであることを避けるのが賢明な
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