断の興味がもてるものではない。それも、その「探してゐるもの」が何であるかゞ、わかるとわからないのとでは、大変なちがひである。此の意味で、僕は、築地小劇場の仕事に少し親みがもてなくなつた。満腔の同情を感じながら、どうしても退屈を禁じ得ない。これは悲しむべきことだ。つまり演出者の意図はたとへ承認すべきものであつても、その意図の実現に必要欠くべからざる材料の選択、準備、整理を怠つてゐる。僕は敢て怠つてゐると言ふ。なぜなら、それが根本的の問題であることを、知らない筈はないからである。それも、見てゐてくれと云はれゝば仕方がないが、家を建てゝから柱を削るやうなことを何故するのだらう。早く家が建てたい、建てなければならないなら、そして、柱を削つてゐる暇が無いなら、なぜ、丸太なり、荒削りなりの柱に応はしい家を建てなかつたかと云ふ疑問が起る。はつきり云へば、素人の俳優が演じても、それほど見つともなくないやうな、つまり、演り易い脚本を選んでなぜ上演しなかつたかと云ふのである。舞台監督万能の時代は既に過ぎ去つた。それでも、さういふ批難を恐れずに、舞台監督の腕一つで、相当見せられるやうな脚本のみをなぜ演らなか
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