らしい。従つて、それについて、彼是といふ必要もないが、この作は、コポオが現代仏国の代表的作品として選んだのでないことが明かである。
 『休みの日』は、幸ひにして欧羅巴の生活に明るい訳者の手を経て、それほどひどいものには勿論なつてゐない。が、主人公ムウトンと之を取巻く人物の生活、その習慣と固癖、典型的な性格表現に用ゐた作者の努力、その想像、その機智は演出の不完全と相俟つて、著しく変形されてゐる。断つて置くが、訳者は英訳を参照したかも知れない。そしてその英訳が、既に原作から遠いものであつたに違ひない。これはよくあることである。なるほど、『雨空』は支那語にさへ翻訳はできないものである。
 只、翻訳上の欠点は、或る程度まで演出によつて救はれたかも知れない。然し之も、結局同じ道理に帰着する訳である。あの演出を、少し言葉のわかる、そして原作を読むなり見るなりしてゐる仏蘭西人が見たら何と言ふだらう。
 然し、何と云つても、此の最後の出し物は、前の二つほど退屈はしない。もう一息と云ふところまで行つてゐるやうに思ふ。その一と息がなかなか問題ではあるが……。
 手許に訳文がないから、一々比較は出来ないが、たしかに誤訳だと思はれる箇所が可なりあつたやうに思ふ。そして、それは疑ひもなく、英訳の誤訳を伝へたものである。
 かういふ社会の、かういふ境遇にある人物が、好んで、或はわれ知らず使ふ言葉や文句のうちには、甚だ難解なものがあることは云ふまでもない。その意味は伝へ得るにせよ、この調子は、そのニュアンスは捕へ難い。而も、此の『休みの日』は、その調子とニュアンスの興味によつて心を惹き、さては動かすものである事を知らねばならぬ。それを除いての興味は薄つぺらなものになる。それを除くと「あら」が目立つ。眼ざはり、耳ざはりになる箇所ができて来る。同じ仏蘭西人の生活でも、もう少し、吾々の生活に近い生活がある。さういふ生活に材を取つた優れた脚本がざらにある。ほんたうに、そして有効に仏蘭西劇を紹介するなら、さういふ種類のものを演つて欲しい。

 築地小劇場第一回の公演は、かくて、僕を全然失望させないまでも、いさゝか期待を裏切つた感がある。然し此の点は、第二回、第三回と漸次に償はるべきことを祈つてゐる。
 僕は何等の判決も下さなかつたつもりである。さういふ気持ちにさせない何ものかゞ、築地小劇場の中にはある。そ
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