Vつちやん臭い洒落が耳に残るくらゐで、苦笑の果ては「うるさいツ」と怒鳴りつけたくなるだらう。
 ところが、その人物の一人一人を眼に浮べながら――殊にその人物をおどけた人形か何かに見たてて――ぢつと耳を澄まして聴いてゐると、これはまたとない面白い場面である。〔C'est dro^le !〕 である。ユウモアとかペエソスとかいふ言葉では現はし難い一種の遣瀬ない可笑味がある。
 僕が中村君の中にミュッセとチャップリンとを見出すと云つたら、誰か異議を挟むものがあるだらうか。実際、中村君は、わが国の文壇に於て、ミュッセの如く、またチャアリイの如く独特な存在である。
 中村君は、しかし、まだ感情のなかで生活してゐる。それ故に、詩にイマアジュがなく、機智に風韻を欠いてゐる。やがて、多くの優れた芸術家の如く、生活のなかで感じ得る時代が来るだらう。『赤蟻』は、既にその時代を約束してゐる。

 阪中正夫君は、詩集『六月は羽搏く』の著者であり、紀の川のほとりに生れた純情多感な自然児である。
 彼は戯曲を書きはじめた。「こつちの方がいい」といふところを、「これしかない」と書き始めた。しかし、その戯曲は言葉を超越
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング