生きようとする必要はないぢやないか。
 或は云ふだらう。何人と雖もその心掛けが必要である。たゞ、文学者は、その心掛けを文に綴るを以て本領となすのであると。
 なるほど、そこが議論の分れ目らしいですな。小生に云はせると何人も心掛けてゐることなら、それをわざわざ文学者などが文に綴つて、やかましく囃し立てなくつてもいゝぢやありませんか。さもなくてさへ、人生といふものは、考へても考へてもまゝならぬもの、できることなら、一時でも、そのまゝならぬ人生を忘れて、まゝになる別の世界に遊びたい。まあさう卑怯呼ばわりはし給ふな。君だつて、五月蠅《うるさ》い客に留守ぐらゐつかつたことはあるだらう。

 それや、文学者の中には、物事を真面目に考へ、真面目に云ひ、大いに軽佻浮薄な世人どもを反省させる人もあつていゝ。と云つてまた、文学者の中には、真面目な事でも巫山戯《ふざけ》て云ひ、重大なことでも茶化してしまふ男があつていゝ。いゝといふのは、巫山戯ても、茶化しても、真面目なこと、重大なことに些かも変りはないからである。その変りのない、範囲に於て、真面目なことが一時でも真面目な顔を見せず、重大な事が一時でも重大さうな顔を見せなかつたら、この人生は、いかに住みよき人生となるであらう。
 なに、それは誤魔化しだ。あゝ君は遂に人間を侮辱した。誤魔化しとはなんだ。失敬な。君の此の世の中で、どんなに下らないことが重大さうな顔をしてゐるかを知らないか。君自身が、いくど、屁の如きことを真面目な問題の如く人に語り伝へたか。事機微に触れるから、それは云ふまい。が、君よ、聴け。君は、白を黒く見せかけることは誤魔化しと云はず、黒を白く見せかけることのみを誤魔化しと云ふのだな。
 それなら云つてやる。おれは誤魔化されたいんだ。おれはおれを気持よく誤魔化すやつに感謝する。どうだ、おれの頭も殴れ。そしておれを笑はして見ろ。うむ、殴りやがつたな畜生、くそ痛くもねえ。ワツハツハツハツハツ。
 元来そこいらの人間は「大きさ」とか「偉大さ」とかいふことを変に履違へてゐる。この事は、或訳書の序文にも書いたが、「偉大さ」を有がたがるのはいゝとして「偉大さ」の迷信は始末がわるい。
 一篇のソンネを書く詩人よりも十巻続きの小説を書く小説家が「えらさう」に見え、蚤の研究よりも象の研究の方が「大事業」に思はれ、同じ医者でも小児科と云へば何とな
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