ないから、一緒におなりになつたらどう……。さうしていただかないと、あたし、却つて困るわ。第一、御不自由でせう。それに、あたしがわる者みたいで……。ねえ後生だからむづかしいこと云はないで、側へ呼んでおあげなさいよ。
一寿 なあに、お前が思つてるほどのことはない。わしも、かういふ生活は、慣れつこになつとるし、気楽でいいよ。なにも今更、朝は味噌汁でなけりやならんといふわけもなしさ。お前たちさへ、かうして、時々顔を見せてくれさへしたら、このままかうしてゐるのが、誰にも迷惑をかけんで一番いい。おや、お前、熱でもあるんぢやないか。顫へてるぢやないか。(娘の額に手をあててみる)まだ寒いか。
悦子 (肩で呼吸をしながら)愛ちやん、早く来ないかなあ……。人が待つてるのを知らないんだわ……。
一寿 (腰を浮かし)もう家を出たかどうか、訊いてみよう。
悦子 電話? いいぢやないの。来る時は来るわよ。あたし今日は愛ちやんと、一生の仲直りをすんの。
一寿 立会人はいらんのか? わしは、もう役に立たん。お前たちの一生と云へば、わしが死んでからの方が長いわけだ。
悦子 立会人なんかいるもんですか? ひとりでにうまく行く方法を考へたのよ。
一寿 さう云ふが、お前たちはそれほど仲の悪い姉妹《きやうだい》でもないぢやないか。それに較べると、あれなんかひどかつた。話したかも知れんが、わしが最初に外務省から語学の勉強にやらされたフランスのトウウルといふ町でだが、丁度下宿をした家に、五十そこそこの婆さんが二人ゐてね、一方はマダム・テパアズ、一方はマドマゼル・ポオリイヌとみんなが、呼んでゐた。二人とも、その家の主人の姉さんで、めいめい食扶持を持ち寄つて所謂共同生活をやつてゐるわけだが、その二人姉妹は、姉さんのマダム・テパアズがお嫁に行つてゐる間の幾年かを除いて、それこそ、朝晩顔をつき合はせてゐるといふ間柄だ。ところで、この二人は、もう十年間お互に口を利かないといふんだから、驚くぢやないか。それまでは、何かにつけて意見が合はず、しよつちゆう、口論もする代りに、まだ、人の前なんかでは、普通の姉妹に見えたものださうだ。どつちか一方が、箒を持つて門口までもう一方を追つかけて来るところをよく見かけたなんていふ話は、まだ愛嬌があつていい。それが、最近の十年といふもの、今も云ふとほり、ぱつたり、口を利かなくなつてしまつた。むろん、話し合ふ用事なんかなくなつてしまつたんだらう。わしは、食堂で、三度三度その二人が卓子の両|端《はし》を占領して、まるつきり眼と眼を反け合つてゐる有様を、ある時は気まづく、またある時は滑稽に思つてながめ暮したもんだ。あそこまで行けば、喧嘩も徹底してゐる。仲が悪いなんていふ生やさしい関係ぢやない。さうだらう、顔を見るのもいやだから、自分はほかへ遷らうつていふ気をどつちかが起しさうなもんだのに、さういふ気は起さない。ね、毛唐はさういふところが面白い。遷つた方が負けになるんだ。主人の細君、つまり、その婆さんたちの義理の妹といふのが、これはまた陽気な女で、いい対照だつた。さう云へば、喧嘩をしてゐる二人も、顰めつ面ばかりしてゐるわけぢやない。相手を前において、ほかのものと必要以上にはしやいだりすることもあるんだ。一種の示威運動だ。――お前さんと口を利かないぐらゐで、あたしの人生は不幸になりやしないよと、つまり、それとなく虚勢を張つてみせる。さあ、さうなると、一方も、これに対抗する上から、そばの誰かをつかまへて、自分が現在如何に幸福であるか、その日その日を如何に楽しく送つてゐるかを力説する。更に片つ方が親友と旅行する計画について吹聴すると、片つ方は、教会の集りで、余興委員に挙げられたことを自慢するといふ具合に、そのへん、なかなか、聴く方でも骨が折れる。
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扉をノツクする音。
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一寿 アントレエ!
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愛子が、すばらしい洋装で現はれる。
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一寿 (わざと、西洋紳士が貴婦人を迎へ入れる時のやうな調子を真似て)ビヤン・ヴニユウ・シエエル・マダム。(それから、椅子をもう一脚火鉢のそばへ寄せながら)アツソイエ・ヴ・マダム・ラ・ヴイコンテス!
愛子 (父親の道化芝居には目もくれず、いきなり、姉の方に向つて)どう? 忙しい?
悦子 愛ちやん、今日は一生の仲直りしませう。あたし、今度、遠くへ行くことになつたの。
一寿 (驚いて)何処へ行くつて?
悦子 まだ、はつきり決めてないの。なるべく遠くへ行つちまふつもりよ。
愛子 なあぜ。
悦子 少し、わけがあつて……。ゆつくり話
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