れてるんですつて……。ところが、うんと騒がしといて、そのうちの一人を、誰も知らないうちに、ちやんと手なづけてるんですつて、三年前から……。そりや、わからないやうにうまいんですつてさ。相手は五つとか年下なんですけどね、学校にゐる時は、まるで子供扱ひにして、お使ひまでさせるんですつて……。
一寿  (益々顔を火鉢に近づけ、やたらに灰を吹き上げる)あちいツ!(顰めた顔で、らくをみあげ)おい、頼むから帰つてくれ。
らく  はい、はい、ぢや、御用がなければ、あたくしは帰ります。
一寿  教へた通りの挨拶をして行け。
らく  (ぎごちなく、一寿の額に接吻する)

[#ここから5字下げ]
彼女が出て行くと、一寿は、洋服に着かへはじめる。最初の場で唄つたのと同じ節の歌を口吟む。大きく咳払ひをする。嚏めをする。手で鼻を拭く。
カラの釦をはめようとしてゐる時、扉をノツクする音。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一寿  アントレエ! おはいりイ!

[#ここから5字下げ]
悦子が、肩掛に顔を埋めてはいつて来る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
悦子  お変りない?
一寿  変らざること、ミイラの如し。お前も風邪は引かんかい?
悦子  風邪なんか引いてられないわ。忙しくつて忙しくつて……。
一寿  結構だ。
悦子  愛ちやん、今日来る?(チヨツキと上着を着せかけてやる)
一寿  今電話をかけて寄越した。出かける時間だけど、ゴルフ場から車が帰つて来ないんで、ことによると、少し遅れるかも知れんつてさ。十二時には間に合ふだらう。
悦子  今日は是非、会つてきたいの。この前はあんな風にして別れたもんで、あと気持ちが悪くて……。でも、ああなつちまつたら、なほらないもんね。もうちやんと性格になつてるわ。どういふものか知ら……人の言ひなりになるつてことがいやなのね。
一寿  亭主にはああでもなからう。
悦子  それが、あの女《ひと》うまいのよ。西洋人が日本の女のどういふところに目をつけてるか、ちやんと呑み込んでるわよ。西洋人のお神さんになつて、西洋の女の真似をしちや損だつてことを、百も承知なんだから感心だわ。甘え方だつて、ほら、何時かみてなかつた? あたしたちの前なんかと、どう? がらつと変つちまふでせう。まるで芸者よ。あれ、驚いた、あたし……。
一寿  驚くことはないさ。お前だつて、亭主を持つたらおんなじこつた。
悦子  違ひますよ。いくらなんでも、かういふ(頸と肩とを同時に寄せて行く科《しな》を作つてみせ)真似は、あたしにはできつこないわ。あんな恰好、何時の間に覚えこんだか、訊いてやらうか知ら……。
一寿  また、また! お前も近ごろ、ずばずば云ひ過ぎるよ。あいつはあいつでいいぢやないか。わしも、お前も、あいつの世話になつてるわけぢやなし、苦労はめいめい、有り余るほどもつてるんだ。それみろ、お前は痩せたぞ、この節……。
悦子  云はないでよ、それ……。自分にもわかつてるのよ。どこまで痩せてくか、黙つて見てて頂戴よ。これで、どうにもならないんぢやないの……。
一寿  苦にしちやいかん、苦にしちや……。人生は、ひらりとからだをかはすものの勝利だ。神谷をみろ、神谷を……。あいつが、からだをかはし損つたのは、細君だけだ。そのほかのことは、こいついかんとなつたら、その場で、なんの躊躇もなく、ひらり、ひらりだ。わしもそいつを喰つた一人だ。ああなくつちやならん。どうしたんだ、え? 妙に沈んじまつたぢやないか?
悦子  あたし、お水一杯ほしいわ。汲みたてない?(一寿が起たうとするのを止めて)いいわ、いいわ、あたし、行つて飲んで来るから……。コツプ貸して……。(戸棚へ行つて、自分でコツプを出す)
一寿  わしが持つて来てやらう。
悦子  いいのよ、さうしてらつしやいよ。

[#ここから5字下げ]
悦子は、幾分重い足取りで廊下に出る。一寿はぽかんとそれを見送つてゐる。やがて、起ち上つて、蟇口の中を検める。紙幣が二三枚小さく畳んで入れてある。チヨツキのカクシに指を突つ込んで、小銭をつまみ出す。ちよつと考へる。が、別に何も気がついた風は見えない。
十二時の汽笛。
悦子が、帰つて来る。顔が蒼ざめてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
悦子  おうお、寒い。
一寿  さあ、あたれ、あたれ……。(椅子を一脚火鉢のそばへ引寄せてやる)
悦子  おらくさん、どうしてます?
一寿  うむ?(聞えないふりをしてゐる)
悦子  おらくさんよ。近頃、どうしてますつて訊いてるの。
一寿  (曖昧に)いやあ……あれもねえ……なんちゆうことはないさ。
悦子  あたし、ちつともかまは
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング