下げ]
一寿 なんの用だ!
らく さう突慳貪に云はないで下さいよ。はいつちやいけないんですか。
一寿 用事を早く云つたらいいだらう。
らく それぢやあなた、風邪を引きますよ。いいんですか。
一寿 (渋々、引つ返して丹前の袖を通しながら)今日は娘たちの来る日なんだ。また見つかると、わしはいやだよ。
らく だから、すぐ帰りますよ。(さう云ひながら、火鉢のそばに蹲る)
一寿 ねえ、おい、今の境遇ぢや、さうさうは困るよ。もう就職も、わしは思ひきつた。神谷の奴も、てんで相手にしてくれず、この年になつて、方々へ頭を下げて廻るよりは、かうして細々と暮してゐた方がましかも知れんと、近頃やつと覚悟をきめたんだ。
らく 愛子さんの方からは、ちつと、どうかできないんですか。
一寿 それだけは勘弁してくれ。あいつも、来るたんびに、なんか置いてかうとするが、わしは断然、そんなものは受取らんと突つ返してやる。毛唐の女房になつて、楽をしようつてぐらゐの女だ。娘は娘でも、こつちから弱味をみせたくないんだ。
らく あたし一人だけなら、今のでどうかかうかやつて行けるんですけど、桃枝を学校へ出すとなると、こりや無理にきまつてるんです。悦子さんに、あたしからお詫びしてもかまひませんから、元々どほりにしていただけないでせうか?
一寿 元々どほりつて、三人が一緒に暮すことかい。そいつは、もう真平だ。お前と悦子の間に挟まつて、わしはどれだけ苦労したか、まあ考へてみてくれ。ほかの理由でならとにかく、お前との折合ひが悪くつて、あいつが出て行くといふもんを、それならさうしろと、このわしが云へるか。妙な意地で、三人がばらばらになつた。それでも、そのためにわしは双方への顔がたつた。もう、これでよろしい。なんにも変へる必要はない。そうつとしといてくれ。
らく あたしも、最初伺つた時は、あんなことになるつもりはなかつたんですからね……。
一寿 それを、今云ひ出してどうするんだ。
らく どうしようていふんぢやないんですよ。自分で自分がわからないつてことを云つてるんです。今日も月謝のことで桃枝とすつたもんだの挙句、ふらふらつと、ここへ来てしまつたんです。
一寿 ふらふらつとなら、もうちつと気の利いたところへ行くとよかつた。五円はおろか、二円も覚束ない、今のところ……。
らく へえ、今日がお二人の見える日でしたかね。ちつとも気がつかなかつた。
一寿 毎月の第三日曜つてこと覚えといてくれ。愛子の亭主がゴルフをやりに行く日だ。今日はこれで風もなし、絶好のゴルフ日和だな。(クラブを振る真似をする)
らく あなた、やつたことあるんですか。ゴルフとかつて……。
一寿 (照れて)ない。
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この時、扉をノツクする音。
一寿、慌てて、扉を細目に開ける。
「お電話です、横浜から」といふ声。
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一寿 ありがたう。(らくに)ぢや、今日はもう帰るか?
らく しかたがないでせう。(これも起ち上つて、一緒に出かけるが、思ひ出したやうに)また序に、洗濯を持つて行きますよ。
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彼女は、戸棚から、汚れたシヤツ、猿股、ハンケチなどを取り出し、それを新聞紙に包む。脱ぎ棄てた洋服を壁に掛ける。ポケツトの中のものを出してみる。銀貨がチヨツキのカクシからこぼれる。その一つ二つを、手早く帯の間へ押し込む。
一寿が、寒さうにはいつて来る。
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らく さうさう、いい話を聞きましたよ。
一寿 (大袈裟に)ああ、たまにはいい話を持つて来てくれ。
らく さういふいい話かどうか知らないけど、今ゐる家の階下《した》の店へ来る問屋さんでね、悦子さんの学校へ文房具を入れてる人があるんです。その人がさう云つてましたよ――悦子さんは、どうして、すごいんですつてね。
一寿 さういふ噂は、半分に聞いとくといい。
らく そりや噂だから、根も葉もないことかも知れないけど、なかなかすごいんですつて……。
一寿 すごいすごいつて、なにがすごいんだ?
らく すごいんですつて、ああ見えて……。
一寿 校長を丸め込んでるとでも云ふのか?
らく まあ、あたしの口からは云はない方がいいでせう。
一寿 やれやれ、さういふ癖が、お前にもあるのか。四十年この方、わしの識つた女は、例外なくそれだつたよ。
らく そんなら言ひませうか。
一寿 云はんでよろしい。聞きたくない。
らく あら、怒つたんですか?
一寿 (火鉢の炭を吹きながら)拗ねてみせるやうな年になつてみたい、もう一度……。
らく 悦子さんは、若い男の先生達から、とても騒が
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