の。――一番おすましはだあれだ――つて、それはお姉さんが出したのよ。さうしたら、兄さんと岡田さんが、一緒に――タドンコロンつて、あの人の綽名よ、さう云つたら、あの人がいきなり、――僕の隣りの人つて云ふの。あたしのことよ。でも、多数決だから、あの人の負けよ。その次ぎ、岡田さんだつたかが――一番黒いのだあ……つて云ひかけた時、あたし、丁度、コンパクトを出してたもんだから、いきなり、それで、――この人つて、指さうと思つたら、それが、生憎、あの人の鼻へさはつちやつたの。
一寿 (考へて)白くついたわけだね。(長い沈黙)で、あとは、みんなその程度のことか。もそつと、深刻なのはないか?
愛子 ぢや、みんな云つちまふわ……。ほら、みんなが酔つ払つて、宿屋へ泊らうつてことになつたでせう。男三人と、女二人、もちろん別々の部屋に寝たのよ。そのうちに、男の方で、ぐうぐう鼾が聞えて来たわ。ただ、そのうちで、あの人だけが、何時までも歌を唄つてるの。低い声だけど、節なんかはつきり……。
一寿 寝言ぢやないんだな。
愛子 ええ。姉さんは、蒲団を引つかぶつて、何処が頭だかわからないやうにしてるし、あたしは、それができないから、明るい電気の下で、眼が冴えて眠られないぢやないの。かすかに、流れの音が聞えて来て、あの人のバスにそれが交ると、寝返りを打つのも怖いやうな静かな晩になつたわ。
一寿 隣の部屋との唐紙は閉めてあつたのか。
愛子 それがよ。閉めてあつたのよ。でも、少し隙間が開いてるもんだから、あたし、気になつて……ひよいと、何気なく手を伸ばして、それを閉めようとしたの……。その手をぐいとつかまれた時、あたし、もうなんにも見えなかつた。声も出なかつたの。ハツと気がついてみると、部屋が真つ暗になつてて、……外には風が出てゐたらしいわ。雨戸が頭の上で、ゴトゴト鳴つてゐたの……。
一寿 たしかに、あの男だとわかつてたんだね。
愛子 (急に、つめ寄るやうに)わかつてたらどうなの? あたしの責任なの?(激しく)いやだわ、いやだわ……そんなの、なんにもなかつたのとおんなじだわ。最初から最後のものを与へるなんて、そんな馬鹿な女どこにもないわ。さういふことが、何の証拠になるの? 男が、それで、何を得たと云へるの? 自惚れるがいいわ、勝手に……。約束なんて、それがどんな約束なの? 愛してる証拠なら、ほかにあるわ。いくらだつてみせられる……。さうよ、なぜ拒まなかつたかつて云ふんでせう。ああ、女つて、そんなもんぢやないわ……。(卓子に突つ伏す)
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この時、悦子が忍び足で、入口に現はれ、父の方に眼くばせをして、快げな微笑を送る。一寿は、それに応へる代りに、静かに瞼を閉ぢる。
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悦子 (そつと愛子の肩に手をかけ)大丈夫よ、大丈夫よ、愛子ちやん……。あたしたちが附いてるわよ。長い間、ひとりで苦しかつたでせう。可哀さうに……。そんな秘密をあんたが持つてると判つたら、あたしは、もつともつとあんたを労はらなけりやならなかつたんだわ……。遠くにゐたあんたが、今、急に、こんなにあたしたちの近くへ戻つて来ようなんて……それこそ、夢のやうだわ……。だから、あたし、悲しいのか、うれしいのかわからない……。さうよ、葬らなけりやならない過去は、早く葬つてしまはう……ね。あんた、まだ泣いてるの……?
愛子 (急に顔をあげ)うゝん、泣いてなんかゐない……(その通りである)
悦子 もつと、あたしのそばへ寄りなさいよ。
愛子 ええ、ありがたう……。だけど、あたしたちは、姉さんの云ふやうに、近くなつたなんて、うそだわ。大うそだわ……。
悦子 あら、どうして?
愛子 (冷たく)パパ、あたしは、今日から、この家を出てくわ。なんにも心配しないで頂戴ね。いろんなことが、だんだんわかつて来たからだわ。自分の生活は、お父さんや姉さんのそばにないつてことがわかつたの……。(入口に立つてうしろを振り返り)居所がきまつたら、すぐお知らせするわ……。
一寿 おい……愛子……。
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愛子姿を消す。
悦子は、しばらくそれを見送つてゐるが、ふと、父の眼に涙を発見し、急いで、自分もハンケチを取出す。
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三
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あるアパートの一室。正面に扉。右手に窓。左手に幕を引いたアルコーヴ。寝台の一端が見える。室の中央に瀬戸火鉢。
前場より二年後の冬、昼近く。
扉をノツクする音。
寝台から、むくむくと起き上つた男は、無精髭を生やした沢一寿である。彼は、扉を開けに行く。奥井らくが立つてゐる。
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