お小遣も、たうとう有耶無耶で出すことになつた。ところで、吾輩がそいつを渋々出してると思ふかね。とんだ間違ひだ。オー・コントレエル。吾輩は、何時もびくびくもんで――そのうちに突つ返されやしまいかと思ひながら――それこそ、顔も見ないやうにして放り出すんだ……。
神谷  先生たちは、君の暮し向きについて、別に知らうともせんのだな。
一寿  実は、近頃少々、手元を見透かされ気味でね。なかなか、うつかりできん。――お父さんは痩我慢を張つてるなんて、二人が蔭で笑つてやすまいかと思つてね。
神谷  笑つてるね、たしかに。吾輩も可笑しくつてたまらんよ。
一寿  ぢや、そのつもりで一杯あけてくれ。(葡萄酒を注がうとする)
神谷  もう沢山。君の話を聞いてゐると、世の中に子供をもつぐらゐ不幸はないといふことになる。
一寿  従つて、君ぐらゐ仕合せな男はないといふことになる。細君は、相変らず、君を叱るかね。
神谷  あんな婆は問題ぢやない。有つて無きが如しさ。
一寿  ほんとに無ければなほよろしいか。
神谷  (玄関の方を振り返り)誰か来たやうだね。ぼつぼつ失敬しよう。
一寿  なに、娘だらう。丁度いいから、少しからかつてやつてくれ。だが、今の話は内証だぜ。

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らくが現はれる。
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らく  お二人とも御一緒にお帰りになりました。(更に声を高くして)あのお嬢様……。
一寿  わかつとる。神谷さんがいらしつてるからつて、さう云ひなさい。

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悦子愛子の姉妹がはいつて来る。姉は和服、妹は洋装である。一見地味な扮りをした姉は、何処となく朗らかで、妹はパツとした服装のわりに、冷たく取澄してゐる。
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一寿  どうした、早いぢやないか、今日は……?
悦子  虫が知らせたのよ、ねえ、愛ちやん……。
愛子  (神谷に)先達ては……。
神谷  やあ、かうして、お二人を並べて見るのは随分久し振りだな……。
一寿  初郎の葬式の時、寺へ来てくれた、あの時が最後かね。
神谷  この春ね。さうだ。悦子さんも愛子さんもなかなか評判がいいですよ。
愛子  あら、どちらで……?
神谷  到るところで……。さうさう、ボオシヨア君は近頃も社へやつて来ますか?
愛子  ああ、あの西洋の方……。ええ、あの方ならちよいちよい……。
神谷  いい青年でせう。わりに上品な……。フランスの貴族ですよ。
愛子  御自分で、それを吹聴してらつしやいますわ。
神谷  吹聴するかなあ。困るんだ、実に、フランス人つてやつは……。
一寿  (得意げに)争はれんもんだ。(悦子に)今日は夜学はないのか?
悦子  代つて貰つたのよ。だつて、この人つたら、どうしても今夜映画見に行くつてきかないんですもの……。
神谷  この次は、わたしがお伴しよう。
悦子  でも今日は、ごゆつくりなすつていただけるんでせう。
一寿  こいつの学校つていふのがね、貧民の子弟が大分来るらしいんだ。もうちつといい学校へ替へて貰へつて云つてるんだけど……。
悦子  いい学校ぢや、こつちが勤まりませんわ。
神谷  気のせゐかも知れんが、かうしてみると、悦子さんは少し疲れておいでのやうだな。子供の相手の仕事は、賑やかなやうで、実は、地味なことこの上なしですね。わたしも中学を出て二年ばかり田舎の小学校へ勤めたことがあります。
一寿  どうだね、姉の方は、君の眼鏡で、適当な候補者はないかね。
悦子  お父さんは何時でもあれね。さういふお話、ここでなさらないでもいいわ。
神谷  ははあ、聞えないや。
一寿  ところで、君、ほんとに急ぐのか? 今用意をさせてるんだがね。
愛子  あたしたち、どうしようか知ら……。
一寿  お前たちは引止めないよ。
神谷  いや、いや。吾輩は、そんなことはしてゐられない。もう約束の時間だ。悦子さん……、この次は是非、愛子さんと一緒に、何処かへ御案内しませう。日曜ならよろしいな。
愛子  (神谷に)あの、呼出しですけれどお電話いただけば……。(さう云ひながら、自分のハンドバツクから名刺を出して、神谷に渡す)
一寿  へえ、そんな名刺こさへたのか。
神谷  可笑しな話だけどね。うちのマダムは、此の頃になつて、女名前の手紙をいちいち見分けるのには閉口しとる。
一寿  君のところへ、そんなものが来るかね。
神谷  お嬢さんたちの前で云ふことだ。良心に誓つて、猥らなもんぢやない。あんたみたいな娘が一人欲しいなんて云ふとつたよ、うちの婆さん……。

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丁度そこへ、らくが、一過の手紙を持つて来る。
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