うに支度をしといてくれ。なに、仰々しいことはいらん。うちうちの客だ。今日は突然、電話で病院の方へやつて来るつていふから、そんなら、家《うち》へ寄れつて云つてやつたんだ。こつちからはよく訪ねるくせに、向ふからついぞ来たことのない男さ。おや、あの娘《こ》は何処へ行つた? もう帰したのか? 何ぞもたしてやるんだつたのに……。おい、上から部屋着をもつて来いよ。ああ、疲れた。トレ・フアチゲだ。(巻煙草に火をつける)
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やがて、らくが派手なガウンを持つて来る。一寿は、ワイシヤツの上にそれを着て、右手をらくの肩にかけ、頬に軽く接吻をするが、女は無表情のままそれを受けたきりで、そつとからだを引く。
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らく (相手の耳が遠いのに慣れてゐるらしく)お茶は苦い方にいたしませうか?
一寿 ああ、うんと濃く出して……。それから、外套のカクシに夕刊がある。
らく 只今……。
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らくの後姿を見送りながら、煙草の煙を長く吐き出して、民謡風の曲を低く口吟む。らくの持つて来た夕刊を受け取り、読みはじめる。茶が来る。音を立てて啜る。日が落ちかける。表に自動車の止る音。
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一寿 やつて来たな。(間もなく呼鈴が鳴る)よし、よし、おれが出る。いや、お前出ろ。丁寧にな。
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らくが玄関に出る。その間、一寿はまた夕刊を取上げる。落ちつくためである。そこへ、らくが名刺を持つてくる。
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一寿 (さも今思ひ出したやうに)おお、さうか。さあ、さあ、こつちへお通しして……。(扉のところまで出迎へながら)いよう、これはこれは……。すぐわかつたかね。
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客は、これも元外務省書記生で、今日は輸入商として相当産をなしたと伝へられる神谷則武(五十二歳)である。
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神谷 わかるにはわかつたが、訪問には悪い時刻になつたな。いや、実は、今夜ね、ある男に会ふことになつてるんだが、その前に、是非ちよつと君に話しときたいことがあつてね。
一寿 まあ、ゆつく
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